斗瑩稲荷神社・表刀神社

2021年3月12日

国道4号線を通るたびに気になっていた神社へ。今回は、大崎市古川に鎮座する斗瑩稲荷神社(とけいいなりじんじゃ)とその兼務社である表刀神社(うえとのじんじゃ)に参拝しました。

斗瑩稲荷神社は源義経に仕えた白狐の伝説や幕末の剣聖千葉周作生い立ちの地として、「とっけさま」の愛称で親しまれているそうです。また、表刀神社は延喜式神名帳にも記載がある古社になります。

斗瑩稲荷神社

斗瑩稲荷神社は大崎市古川荒谷に鎮座する神社で、宇迦之御魂大神豊受比売大神武甕槌命を祭神に祀ります。神社の創建には、源義経と白狐の伝説が社伝として伝わっています。白狐の伝説は、「斗瑩稲荷神社由来記」によると下記のようなものです。

文治3(1187)年に源頼朝の勘気を受けた源義経が奥州平泉へ下向の際、吉野山に似た斗瑩山に立ち寄り、静御前遺愛の鼓の調べに聞き入っていた。すると、どこからともなく白狐が現れ、「鼓は自分のなき母の皮でつくったもの。ぜひ返していただきたい。そうしてくれれば、義経公の守護に当たり、難を救ってあげます。」と涙ながらに申し出た。そうしているうちに白狐は斗瑩山の岩穴に入り込んだので、義経は弁慶に命じ、祭壇を築かせ一行の武運長久を祈願した。

「斗瑩稲荷神社由来記」より

これを伝え聞いた村人が良雲法師に頼み、一宇を建立して「左衛門尉四郎稲荷大明神」と尊崇したのが、斗瑩稲荷神社の始まりと伝わっています。

ちなみに、「左衛門尉四郎」というのは、この白狐が佐藤左衛門尉四郎忠信に姿を変じたことによります。「義経千本桜」という歌舞伎で有名です。

その後、応永30(1423)年、大崎左京大夫持詮が社殿を造営しましたが、永正13(1516)年に野火により焼失、永禄5(1562)年に光明寺(現在も斗瑩稲荷神社に隣接)開基である異庵全秀大和尚が伏見の稲荷山より勧請し再建されました。

幕末には北辰一刀流を編み出した剣聖千葉周作が少年時代を過ごしたといわれ、その住居は現在の神社境内にあったそうです。

それでは、境内を散策します。

参道入口前に駐車場があります。

鳥居をくぐり境内に。境内には若干雪が残っていました。

参道入口から本殿までは途中で参道が直角に折れ曲がるようになっています。

鈴はコロナ予防のため使用不可になっていました。

小規模ながらも清々しい神社でした。

社務所で御朱印をいただきました(初穂料500円)。社務所は本殿の右側にあります。

兼務社である表刀神社と併せて見開きの御朱印です。

表刀神社までの地図をいただきました。表刀神社へ向かいます。

【所在地】宮城県大崎市古川荒谷字斗瑩28

【駐車場】あり(参道入口前)

表刀神社

表刀神社は、斗瑩稲荷神社から車で10分ほどの場所にあります。

表刀神社の創建は、天平神護年間(765~766)頃と伝えられ、伊邪那美命須佐之男命武甕槌命を祭神として祀っています。延喜式内社奥州百座の一社で、12の末社があったようです。

室町時代には、大崎義隆が社殿修復を行った際に弁財天を祀ったとされ、現在は通称「弁天様」と呼ばれています。

参道入口には新しい狛犬がいました。記銘を見ると、令和3年1月奉納とのこと。新型コロナウイルス感染症終息祈願として奉納されたもののようです。

社殿は周囲より一段高い場所に建てられています。

鮮やかな朱色の明神鳥居が素敵です。

社殿の隣には、合祀された神社の石祠が祀られています。八雲神社と羽黒神社です。

参道の途中に、参道を造営した際のものと思われる石碑がありました。石碑には安政2(1855)年の銘と寄進者の名前、当時の別当名が彫られていました。

こちらは御神木の大杉です。樹齢約500年、幹囲約6m、樹高約29mの堂々とした姿です。

神社周辺は、かつては千枝湖(ちえのみずうみ)という入り組んだ湖沼で、「みちのくの 華嶋山に陰落ちて 木末に魚の のぼるとぞ見ゆ」という古歌にあるとおりの風景だったといいます。

現在は全て田んぼになっており、往時の風景は残っていませんが、境内から周囲を見渡し、往時の姿にしばし思いを馳せてきました。

【所在地】宮城県大崎市古川小野字宮前14

【駐車場】あり(参道横)

神社

Posted by きだ