妙見山黒石寺~貞観の薬師如来~

2021年5月15日

黒石寺について

仏像を求めて、岩手県奥州市にある黒石寺(こくせきじ)に向かった。黒石寺には多くの仏像が祀られているが、今回のお目当ては国指定重要文化財に指定されている薬師如来坐像である。

なお、黒石寺の仏像を拝観するためには、事前予約が必要となるため注意が必要である。詳細は黒石寺さんのホームページ(下記URL)を参照いただきたい。

http://kokusekiji.sakura.ne.jp/wp/

黒石寺は天台宗の寺院で、山号は妙見山(みょうけんざん)という。天平元(729)年行基による開基とされ、最初は東光山薬師寺と称したが、延暦年間の蝦夷征伐の戦火により焼失した。

大同2(807)年に飛騨の工匠が薬師堂を再建し、嘉祥2(849)年天台座主慈覚大師円仁が復興し、妙見山黒石寺と改名した。

最盛期には伽藍48宇を誇ったが、度重なる火災により伽藍の一切が焼失し、明治17(1884)年に現在の本堂と庫裏が再建された。

本堂

黒石寺には、本尊である薬師如来坐像をはじめ、文化財に指定されている仏像が数多く伝わる

また、旧正月7日夜半に行われる「黒石寺蘇民祭」は東北地方への蘇民信仰の伝播を伺わせる祭りで、国の無形文化財に指定されている。

黒石寺薬師如来坐像

黒石寺の駐車場に車を停め、階段を上って本堂に行く。駐車場前には公衆トイレや自動販売機等が整備されていた。御朱印や拝観料などは釣り銭の無いように渡したい主義なので、自動販売機は個人的にすごくありがたい。

本堂の前では住職さんが待っていてくださった。

住職さんの案内で、本堂脇の収蔵庫へ。扉を開けていただいた。
黒石寺薬師如来は、かつては33年に一度しか拝むことが出来なかったという。
事前に予約すれば拝むことができる時代に生まれたことに感謝しながら収蔵庫に入る。

薬師如来坐像は、本などに掲載された写真から、大きくて迫力のある姿を想像していた。

しかし、実際に目の前にすると、想像より小さかった。というのも、黒石寺薬師如来坐像は像高126㎝なのだ。

黒石寺薬師如来坐像は、カツラ材の一木造りで、内刳を施した像内には貞観4(862)年の墨書銘が記されており、国指定重要文化財に指定されている。

薬師如来坐像には、台座と光背、頭部に金箔が残っている。面相は如来に似つかわしくないほど厳しく、頬はこけ、唇はとびだし、切れ長の目は吊り上がっている。光背の化仏の柔和な表情とは対照的である。両肩はいかつく張っており、両膝は厚く幅広い。刻まれた衣文は太く力強い。

像自体はそれほど大きくないが、なんとも力強い、雄大な仏像で、他地域の平安時代の仏像とはまったく異なる特徴である。

なぜこのような仏像が製作されたのだろうか。

黒石寺薬師如来と古代東北

古代東北の仏像には、同時期の中央の仏像とは異なる様相を示しているものが散見される。

黒石寺薬師如来は、貞観4(862)年という国内最古の胎内銘をもつ仏像である。この貞観4年という時期、東北がどのような情勢だったか調べてみた。

『日本三代実録』の貞観4年6月15日条には、

   陸奥鎮守府正六位上石手堰神社並預官社

とあり、陸奥国にある石手堰神社(いわていのじんじゃ)が官社(国家から祀られる神社のこと)となったことがわかる。ちなみに石手堰神社は黒石寺のある黒石村にある。
なお、貞観年間には陸奥国内の多くの神社が官社化あるいは神階の叙位・昇叙を受けている。

陸奥国において、官社は政情不安定かつ重要拠点の置かれた地に重点的に整備されている場合が多く、「神社の官社化=政情不安定かつ重要拠点が置かれた地域」と考えられる

つまり、貞観年間には陸奥国は再び不穏な情勢になりつつあったことが推測できる。

それを示唆する記事が、同じく『日本三代実録』貞観15年12月7日条にある。

   陸奥国言。俘夷満境。動事叛戻。吏民恐懼。
如見虎狼。望謂准武蔵国例。奉造五大菩薩像。 安置国分寺。粛蛮夷之野心。安吏民怖意。
至是許之。

要約すると、「蝦夷が開拓民との境界線に現れ、反乱が起こりそうな気配で、住民が恐れおののいている。武蔵国の例にならって五大菩薩像を国分寺に安置して蝦夷の野心を鎮め、住民の恐怖を取り除いてほしい。」と陸奥国府(多賀城)に願い出て、国府がそれを許した、という内容である。

ここからも、坂上田村麻呂が陸奥国に東北経営の拠点となる胆沢城を設置してからおよそ60年を経て、再び陸奥国に不穏な気配が生じていたことがわかる。

東北地方には、蝦夷鎮圧のために北方鎮護の毘沙門天が多く残されているが、それら毘沙門天は北上地域(岩手県南部)に集中しており、陸奥国の仏教文化は中央政府の対蝦夷政策と密接に関わっていると考えられる。

黒石寺薬師如来が如来に似つかわしくない荒々しさ・力強さをもつのは、蝦夷と直接向き合った陸奥国の人々の心情が反映されているからだと思われてならないのである。

黒石寺の仏像たち

薬師如来坐像を拝観したのち、収蔵庫を出て、本堂へ向かう。

本堂に入ると、そこにもたくさんの仏像が祀られていた。以下、錚々たる面々をご紹介する。

四天王立像持国天、増長天、広目天、多聞天共に一木造りの国指定重要文化財。薬師如来坐像と同時期の作と伝わる。やはり一木造りは素晴らしい。一本の木からこのような仏像ができるのかと感嘆してしまう。

十二神将立像…頭頂に12支の獣を載せており、12体とも彩色が残っている。平安時代末期から鎌倉時代初期の作といわれ、県指定文化財になっている。また、両眼には玉がはめ込まれ、生き生きとした表情である。

僧形坐像・伝慈覚大師坐像カツラ(あるいはシウリザクラ)材の一木造り。膝裏の刳りの部分に永承2(1047)年の墨書銘がある。古くは寺域の大師山のお堂に安置してあったそうだ。像高67㎝で国指定重要文化財

日光・月光菩薩立像…本尊薬師如来の脇侍で、奥州藤原氏二代基衡の寄進したものと伝わる。平安時代末期の作で、県指定文化財

と、お堂の中にはこれらの仏像がひしめいていた。

薬師如来坐像もだが、黒石寺ではこれらの仏像を間近(手を伸ばせば触れそうなくらい近い)で拝観できるのだ。

黒石寺は住職さんもとても親切だった。拝観後、寺務所で拝観料(500円)を払い、御朱印をいただき黒石寺を後にした。

御朱印

古代東北の仏教文化を肌で感じることができた。

【宗派】天台宗

【所在地】岩手県奥州市水沢区黒石町字山内17

【駐車場】あり

【御朱印】あり