黒川神社~東方の薬師~
宮城県黒川郡大和町にある黒川神社は、祭神に少彦名命を祀る神社です。
黒川神社は、大野東人の家臣、大野三郎左衛門兼則7代の孫である黒川郡三ヶ内城主報恩寺可則が仁和年間(885~889)に、智証大師作の薬師像を薬師堂を建て祀ったことに始まると伝わります。この薬師像は、源義家が東征に際し尊崇し、「袖振薬師」と称されました。
『安永風土記』によると、この薬師堂は「功徳山八聖寺」と言われ、黒川郡の領主だった黒川晴氏が「東方の薬師」として崇敬していたそうです。また、仙台藩主伊達綱村公を始め、代々の藩主の崇敬を集めていたようです。
明治に入り、「神仏分離令」が出されると、薬師堂は黒川神社と改称し、本尊の薬師如来と通じるところから、祭神を少彦名命としました。
神社の隣に駐車場があるので、車を駐車場に停め参拝します。
参道入口にある鳥居をくぐり、少し歩くと拝殿に着きます。
こちらの社殿は明治13(1880)年に造営されたものです。ご神体は、3尺2寸(97㎝)の薬師如来像です。
また、境内には仁王像と十二神将を安置したお堂があります。
拝殿のすぐ横にある鳥居をくぐり、仁王堂へ向かいます。
堂内には、像高約55㎝の十二神将、像高約206㎝の仁王像が安置されていました。仁王像は、ヒノキ材の寄木造で、「永享4(1433)年8月4日再興」という銘があり、増長作と伝わります。
この仁王像の股の下を8の字にくぐるとハシカが早く治るという言い伝えがあります。
お堂内部はこんな感じです。カラフルな仁王像が安置されています。写真は「宮城まるごと探訪」さんからお借りしました。
御朱印は拝殿前にある賽銭箱のところに書置きがあります。初穂料は賽銭箱に納めます。御朱印帳への直書きを希望する方は、宮司さんに連絡すると宮司さん宅で書いていただけるようです。
黒川神社は、御朱印に仏像が描かれているとおり、神仏習合を現代まで色濃く残す神社でした。
【所在地】宮城県黒川郡大和町鶴巣北目大崎字日光山15
【御朱印】あり
【駐車場】あり