坂上高道ゆかりの神社
以前、坂上高道の墓(貞観石)についての記事を書きました。今回は、高道の墓がある宮城県石巻市の高道ゆかりの神社についてです。坂上高道の墓については、以下の記事をご覧ください。
高道の墓の周辺には、高道創建と伝わる神社(鹿嶋神社)と高道を祭神として祀る神社(箱石神社)があります。
鹿嶋神社
鹿嶋神社は、高道の墓と北上川を挟んで対岸にあたる石巻市桃生町樫崎にあります。
鹿嶋神社は、「安永風土記書出」によると、勧請の由来は不詳となっていますが、鹿嶋神社宮司榊田家に伝わる所蔵文書では、天安2(858)年10月に高道によって創建された式外の古社で、高道が戦死したため、都に奏上されず、『延喜式』に記載されなかったと記されているそうです。
祭神は武甕槌命・経津主命を祀っており、もとは北上川を挟んで高道の墓碑の対岸にある鹿島山に鎮座していましたが、東日本大震災で社殿が被害に遭い、現在地に遷座しました。
高道の墓がある場所とは、現在は北上川で隔てられていますが、往古は陸続きであったそうです。
鳥居は真新しいものですが、掲げられている額は遷座前から使用されているもののようです。
こちらが拝殿です。
拝殿付近には庚申塔や山神などの石碑がありました。これらは以前の鎮座地である鹿島山にあったものを移動したものだそうです。
一部板碑らしきものもありました。
【所在地】宮城県石巻市桃生町樫崎東舘
【御朱印】なし
【駐車場】あり
箱石神社
坂上高道の墓から車でおよそ20分、石巻市成田地区(旧河北町)に箱石神社はあります。
宮城県神社庁『宮城縣神社名鑑』には、由緒が次のように記載されています。
清和天皇貞観五(863)年従五位坂上大宿祢高道蝦夷と戦いこの地に卒す。高道の霊怒って竜と化し烈風雷鳴とどろき大洪水となり農地悉く害を蒙ったので蝦夷大いに怖れその霊を厚く祀って詫びた。ここに本社が創ったという。(口碑)明治五年五月村社に列す。後成田小塚の山神社を合祀。祭神高龗神
宮城県神社庁『宮城縣神社名鑑』より
貞観5(863)年に坂上高道が戦死した後、その霊が龍となり洪水を起こし、その霊威を恐れた蝦夷がその霊を祀ったことが始まりとのこと。
祭神は、水神でもある高龗神です。 高龗神は伊邪那岐神が迦具土神を斬り殺した際にその血液より生まれたとされています。また、高龗神は淤加美神とも表記され、京都の貴船神社の祭神でもあります。
箱石神社は国道45号線を見下ろす場所に鎮座しています。
簡素な佇まいの拝殿です。
拝殿隣にある祠のなかには、「能化碑」と呼ばれている石碑が祀られています。この石碑には「水源了呑禅士」と刻まれており、江戸時代に成田村の人々を救うため堤防を築き、過労が祟り亡くなった能化上人というお坊さんの供養碑のようです。「寛永八年」という年号も読み取れます。
ちなみに、宮城県仙台市宮城野区成田にも箱石神社がありますが、これは石巻市成田から移り住んだ人々が勧請したものです。
【所在地】宮城県石巻市相野谷杉ケ崎65-3
【御朱印】なし
【駐車場】なし