高田山保昌寺~奥州藤原氏ゆかりの丈六仏~(みちのく仏像巡礼記)

保昌寺と奥州藤原氏ゆかりの丈六仏

宮城県刈田郡蔵王町。ここは樹氷が有名な蔵王山の麓にある町である。

この町にある保昌寺(ほうしょうじ)というお寺に、平安時代後期に東北の地に君臨した奥州藤原氏ゆかりの丈六阿弥陀如来坐像がある。

保昌寺は、曹洞宗の寺院で山号は高田山といい、享禄3(1530)年、伊達家家臣であった高野家の菩提寺として米沢(山形県米沢市)に建立され、伊達家が仙台城(宮城県仙台市)に移った後の慶長7(1602)年、高野家が平沢城(宮城県刈田郡蔵王町)に移封されるのに従って現地に移転した。

さっそく保昌寺に向かう。保昌寺の駐車場に車を停め、本堂の方へ歩いていくと、「丈六阿弥陀如来坐像」と彫られた石柱と立派な収蔵庫がある。その中に今回の目的である、丈六阿弥陀如来坐像が安置されていた。

収蔵庫

保昌寺阿弥陀如来坐像は丈六仏という種類の仏像で、丈六仏とは、一丈六尺の身長をもつ仏像のことである。今は長さを表すのに「m」を使うが、昔は「丈」や「尺」といった単位を使った。1丈=10尺=約3.3mとなるため、1丈6尺は約4.8mとなる。

保昌寺阿弥陀如来坐像は総長379cm、像高288cmのため、一丈六尺にはならない。というのも、この坐像は相当傷んでいたようで、江戸時代に修繕が行われ、頭部と胸板以外の部分は全て享保3(1718)年の作り直されている。おそらく、製作当初は一丈六尺の大きさだったのではないだろうか。

この丈六仏は欅材の寄木造で、製作年、作者は不明であるが、平泉金色堂の本尊である阿弥陀如来像に近い作風を示しており、平安時代後期のものと推定されている。宮城県下でも数少ない平安時代の丈六仏で、宮城県指定文化財になっている。

この丈六仏は、安養寺(明治3年に廃寺)の本尊と考えられているが、それまでの由来は不明で、明治3年の安養寺廃寺後、清立寺が一時管理していたが、その後保昌寺本堂に移されたという。

保昌寺阿弥陀如来坐像

さっそく阿弥陀如来坐像と対面する。残念ながら収蔵庫の扉は鍵がかかっており、平日に参拝したため住職さんも留守にしていたのでガラス越しでの参拝となった。

阿弥陀如来坐像は江戸時代に大規模な修繕が施されたというだけあり、だいぶ傷んでしまっているが、平安時代に開眼された当初のお顔はちょっとおっとりした優しい顔立ちをしており、手は上品上生弥陀定印を結んでいる。

保昌寺阿弥陀如来坐像

写真でみるとわかるが、頭部と胴体が若干アンバランスな感じがする。
おそらくこれは、江戸時代の修繕によるもので、頭部の大きさから考えて、やはり製作当初は一丈六尺の威容を誇ったのであろうと思われる。

だが、そうはいっても総長約3mの仏像である。
眼前でみる丈六阿弥陀如来坐像はなかなかの威容だった。

保昌寺さんのホームページはこちら

【宗派】曹洞宗

【所在地】宮城県刈田郡蔵王町平沢諏訪舘28-1

【駐車場】あり

【御朱印】不明