安福河伯神社

今回は、宮城県亘理町にある延喜式内社、安福河伯神社(あふくかはくじんじゃ)です。

安福河伯神社は、景行天皇41(111)年に日本武尊により勧請されたと伝わり、社名のとおり阿武隈川の「川の神(河伯)」を祭神に祀る神社です。

また、阿武隈川下流の治水用水・大和朝廷の北辺守護のために創建されたとも伝わり、創建当初は、現在の鎮座地から東の逢隈田沢字宮原の阿武隈川のそば(常磐線の線路の西200mの堤防下)に鎮座していたようです。その後、現在の鎮座地である水上山の上へ遷座されたといいます。

参道入口

貞観5(863)年には、「阿福麻水神」として名が見え、朝廷から勲十等を授けられています(『日本三代実録』貞観5年10月29日条)。他にも、阿武隈明神社阿武隈神社阿武隈大明神などの呼び名があります。

参道入口には、多数の石碑があります。神社の周囲には「堰下横穴墓群」という横穴墓があるようです。

石段を登り境内へ。土台のみを残した石灯籠がありますが、その土台の大きさからかなり大きい石燈籠だったと思われます。全体的に、境内は寂れた印象を受けました(静かに参拝できるので、個人的に好きな雰囲気です。)。

社殿

安福河伯神社の本殿は江戸時代後期に建てられたもので、彫刻の見事さから、亘理町指定文化財に指定されています。

拝殿の彫刻

また、社殿の横にはだいぶ荒れているお社があります。寄進者が記載された棟札に「子安神社」とあることから、子安神社のようです。

子安神社

子安神社の後ろには子安観音の石仏がありました。細部まで彫り込まれている美しい子安観音像です。

子安観音像

安福河伯神社には、阿武隈川にまつわる伝説があります。

ある日、山の神と川の神が出会った時、山の神は「ここまで山を作ってきたから、もっと北まで延長したい」といい、川の神は「この辺で川を海へと向かわせたい」と言った。お互い一歩も譲らないので、近くの深山という山を早く10周した方の意見に従うということになった。一斉に山の神と川の神が競争を始めたが、7周目に入ったところ、山の神がちょうど深山に咲いていたツツジに目を奪われ、ツツジの根に足を取られ転んでしまった。山の神が転んで遅れを取った間に川の神がどんどん差をつけてしまい勝利したという。

亘理町『ふるさと亘理 歴史の散歩路』(亘理町、2009)

そのため、川の神である安福河伯神社付近から阿武隈川は東に流れを変え、太平洋に向かうように流れていると伝えられています。

また、山の神は安福河伯神社の対岸の岩沼市に鎮座する千貫神社(旧称深山大権現)の祭神の大山祇神だといわれています。

安福河伯神社の付近には鎌倉時代から室町時代初期のものと考えられる田沢磨崖仏(岩地蔵)があるので、併せて行ってみてはいかがでしょうか。

【所在地】宮城県亘理郡亘理町逢隈田沢堰下220

【御朱印】なし

【駐車場】あり

神社

Posted by きだ