法印神楽~修験道と郷土芸能~

法印神楽とは

宮城県の石巻(いしのまき)、牡鹿(おしか)、桃生(ものう)、登米(とめ)、本吉(もとよし)、気仙沼(けせんぬま)などの三陸沿岸地域に、「法印神楽」という郷土芸能が伝わっています。

法印神楽は修験者(山伏)が伝えた神楽のことで、法印とは修験者の別名のことです。

有名な法印神楽としては、石巻市雄勝(おがつ)町の「雄勝法印神楽」が国重要無形民俗文化財に指定されています。

演目は、「道祖(どうそ)」、「日本武(やまとたける)」など記紀神話(古事記・日本書紀)を題材に構成されており、二間四方の舞台の天井に「大乗」という天蓋(てんがい)の一種を吊るし、奥に幕を張った舞台で演じます。お囃子は多くの場合太鼓と笛のみで演奏されます。

YouTubeにも法印神楽の演目がアップされています。石巻市桃生町に伝わる「樫崎法印神楽」が、所作に修験の名残をよく残していると言われています。

神楽は、全国的に分布し、大別して巫女神楽、出雲流神楽、伊勢流神楽、獅子神楽(山伏神楽、番神楽、大神神楽)に分類されるそうで、法印神楽は出雲流神楽に分類できると言われます。出雲流神楽は、採物(榊・幣・弓・剣など手に持つ道具)の舞と演劇的なものを組み合わせた能のような神楽です。

今回は、雄勝法印神楽のある、石巻地方の法印神楽の話です。

法印神楽の起源と歴史

法印神楽の起源については、不明な点が多く、史料もあまり残っていません。

石巻市桃生町では、樫崎村の羽黒派修験院龍性院(現・鹿島神社)に宝暦年間(1751~1763)から演じられてきたと伝えられ、また、元和2(1616)年に同町中津山村の修験、本山派良寿院の滝本重慶という法印が、皿貝村(石巻市河北町)の修験、本山派成就院の久峯重光とともに聖護院(本山派修験の総本山)門主宮様御入峯の折に演じた能がはじまりと言われています。

鹿島神社(石巻市桃生町樫崎)

修験院が江戸時代にどれくらいあったかというと、「安永風土記御用書出」や「修験院書出」によると、安永年間(1772~1780)の北上川流域の村々の修験院は、44ヵ院にのぼるそうです。

また、延享3(1746)年の「羽黒山御末本流分限御改帳」からは、各村々の修験院が神楽座を組んでいたことがわかります。主な神楽座として、羽黒派修験の樫崎村龍性院(桃生町)、永井村大善院(桃生町)をはじめとする「桃生十箇院」本山派修験の中津山村良寿院(桃生町)、皿貝村成就院(河北町)などの「大和三輪流」が挙げられます。

なお、雄勝法印神楽は「桃生十箇院」の一つ、市明院(現・葉山神社)が伝えたもので、市明院は延徳2(1490)年からの歴史をもつ旧家です。市明院には、今現在、法印神楽の最も古い文書である元文4(1739)年の「御神楽之大支」が所蔵されています

葉山神社(石巻市雄勝町)

これらのことから、遅くとも江戸中期には演じられていたことが明らかになっています。

こちらの雄勝法印神楽が伝わる石峰山石神社・葉山神社のホームページ(クリックでホームページに遷移します。)でも法印神楽についての歴史が詳しく書かれています。

衰退と復興

法印神楽は、文字通り「法印」と呼ばれる修験者によって演じられてきた神楽で、明治維新以前は法印以外は舞うことができませんでした

というのも、法印神楽は非常に宗教性の濃い修験道の思想が反映された祈祷神楽であり、神事神楽であったため、演技中に修験の行法が多く取り入れられていたからだと言われています。

江戸時代には村々に神楽座が組まれていたと述べましたが、明治5(1872)年、神仏分離令(廃仏毀釈)により修験道が禁止され、修験団は解体されます。

そのため、法印は帰農や転職(神職や僧侶など)を余儀なくされ、法印神楽は一時衰退します。

維新の後、世の中が落ち着いてくると、旧法印たちを先達(せんだつ)として、村々の氏子たちによって復興が図られます

石巻市桃生町では、樫崎鹿島神社(旧羽黒派修験龍性院)の神職、19代榊田員枝氏が早くから復興を図り、明治26(1893)年には同市河北町でも多数の弟子を養成し、明治末から大正初期にかけての「御神楽入学証」が残されています。

他にも、旧大善院下山家などでも弟子の養成に注力し、大正8(1919)年に北海道釧路での上演を皮切りに、靖国神社や明治神宮にも法印神楽を奉納するなど復活を遂げます

このように復興を果たし、継承されていた法印神楽ですが、太平洋戦争の勃発、そして戦後の混乱する世情の中で、再び衰退してしまいます。

しかし、その後の民俗芸能の見直しと法印神楽に寄せる人々の心が、法印神楽を再度復活させます

現在の法印神楽が、修験道が禁止される明治維新前のものと同様であるかはわかりませんが、平成2年には宮城県指定無形民俗文化財に指定されています。 また、雄勝法印神楽が平成8(1996)年に国重要無形民俗文化財に指定されました。

東日本大震災と法印神楽

平成23年3月11日に発生した東日本大震災は、東北地方にとてつもない被害をもたらし、発災からまもなく10年になる今も復興は道半ばです。

法印神楽が伝わる三陸沿岸地域は、特に被害が甚大で、雄勝法印神楽に至っては、津波により道具が流出して存続が危惧されましたが、寄付などの支援を受けて震災後も継承されています。

法印神楽は、震災後は以前にも増し精力的に活動を展開し、全国各地で公演が開かれています。

歴史に翻弄され、幾度も衰退と復興を繰り返しながらも現代まで継承されてきた法印神楽。幾星霜もの月日を越えて伝えられている事実は、「郷土芸能」に人と人を結び付ける力があることの証であると思います。

なお、法印神楽の担い手である山伏については、「羽黒派修験道の里山伏と秋峰の行」という記事で紹介しています。

民俗

Posted by きだ