羽黒派修験道の里山伏と秋峰の行

羽黒派修験道と里山伏

修験道とは、役小角(えんのおづぬ)を始祖とし、山岳に登り修行を積み、その呪力により加持祈祷をする、山岳信仰と仏教の密教信仰があわされた宗教のことです。

役行者像と前鬼・後鬼像

修験道の宗派の一つである羽黒派修験道は、江戸時代には東北から関東地方にかけて、羽黒山の本坊である寺院と直末寺、または孫末寺、曽孫末寺の関係で結ばれた約5000人に及ぶ修験者の教団で、天台宗聖護院系の本山派や真言宗醍醐三宝院配下の当山派とともに、修験道の三大本山の一つに数えられました。

修験者のうち、村里に住み着いた修験者のことを里山伏または末派山伏(里修験)と言います。村々の鎮守社や勧請社などの司祭者となり、拝み屋となって妻子を養い、田畑を耕し、あるいは細工師となり、鉱山の開発に携わる者もいたそうです。

そのため、江戸時代に建立された石塔には導師としてその土地の修験院の名を見つけることができます。

庚申塔(日高見神社(宮城県石巻市)境内)

また、羽黒山や出羽三山に参詣する信者を引率してくる役目もあり、その場合は里先達と呼ばれました。

秋峰の行と里山伏

羽黒修験には「秋峰の行」という修行があります。

この峰入り修行は、それまで世俗の価値観をもって生きていた人間が擬死再生するという構成になっています。

この修行内容については、久保田展弘さんの『修験の世界 始原の生命宇宙』(講談社、2005)に詳しく書かれていました(こちらから購入いただけます)。

月山の行者返し

秋峰の行の期間は、室町期までは75日、江戸時代初期は35日、明治初年には15日、大正初めには10日に減り、現在は7日となっています。

秋峰の行は、参加することで位階昇進が許されることから、「諸国山伏出世の峰」と呼ばれています。

秋峰の行のクライマックスである八朔祭

羽黒派修験(里山伏)の位階

里山伏は、得度→初歩教育履修→羽黒山入峰→出世という流れで昇進していきます。

得度とは、山伏になることで、父または触頭(その地域の羽黒山伏のリーダー)から五戒を授けられることです。その後、初歩教育履修として、父または触頭から切紙伝授を受け、在地における法会等に参加し、経験を積みます。

ある程度経験を積んだのち、秋峰の行として羽黒山に入峰し、その回数により昇進(僧祇、越家、大越家、権大僧都、法印、法印監などに昇る)する流れになります。

秋峰の行で位があがった山伏は、鈴懸という衣と腰に下げる螺緒(かいのお)の色が変わり、その位は五段階あります。秋峰の行に入峰した回数によって、上がる段数が決まります

山伏の装束(コトバンクより引用)

9回入峰で一僧祇(そうぎ)、12回入部で二僧祇、二僧祇から3年連続で入峰すると三僧祇になります。三僧祇になった後、3回入峰すると大越家か権大僧都となり、山伏の最高位まで到達します。

つまり、権大僧都クラスまでは秋峰の行に18回も参加しなければなりませんでした

権大僧都の墓石
(刈田嶺神社境内(宮城県蔵王町))

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岩鼻通明『出羽三山 山岳信仰の歴史を歩く』(岩波書店、2017)

島津弘海ほか『千年の修験-羽黒山伏の世界』(新宿書房、2005)

戸川安章『出羽修験の修行と生活』(佼成出版社、1993)

歴史,民俗

Posted by きだ