鷲倉神社~推古朝創建の口伝が残る山岳信仰のお社~
今回は、宮城県仙台市泉区福岡に鎮座する鷲倉神社(わしのくらじんじゃ)です。
神社の創建は、推古朝(592~628)に登喜多麿(ときたまろ)という人物が勧請したという口伝が伝わっています。
古くから山岳信仰の対象であったと考えられており、江戸時代には摩訶迦羅天(大黒天)が祀られ、お山の権現様として篤い信仰を集めていました。現在は、大巳貴命(オオナムチ)を祭神としています。
境内にある明治15年建立の石碑には、「慶長9(1604)年、岩崎隼人康彪が伊達政宗から建造費の補助を受け社殿を作り、さらに明治14年福岡村で社殿を大修理した」と記されており、現社殿には旧社殿の彫刻がところどころに使用されているそうです。
「わしのくら」という地名は、伊治公呰麻呂の乱の際、蝦夷軍の侵攻を防御した5つの道の1つに「鷲座」という地名が見え(『続日本紀』宝亀11(780)年12月10日条)、場所は鷲倉神社の周辺と考えられています。
鳥居をくぐってすぐのところに、たくさんの墓石がありました。碑文を読む限り、鷲倉神社に関係する社家(江戸期は修験?)に連なる方の墓域のようです。
墓碑群を横目に参道を進みます。車で通れそうです。写真ではわかりにくいですが、意外と傾斜があります。
しばらくすると石段が見えてきました。車は参道入口に停めてきましたが、石段の手前まで車でこれそうです。熊が出そうな雰囲気です。「熊出没注意」の看板があります。
石段を登っていくと石祠があり、なかには木製の石棒が納められていました。道祖神かと思いましたが、おそらく山神だと思われます。
石祠を過ぎると目の前に社殿に続くと思われる、きつい傾斜&長い石段が出現。この時点ですでに足がガクガクでした(運動せねば…。)。
赤い手すりは途中で壊れており、かなり心もとなかったです。
社殿に続く石段とは別に、先ほどとは別の石祠へ続く石段もありました。気にはなりましたが、身体がついてこず登るのは諦めました。
先ほどの石段を登りきると、鐘がありました。ここにも神仏習合の名残があります。
ようやく社殿が近づいてきました。
最後の石段を登りきると、御神木と思しき杉の巨木が目に飛び込んできました。
この杉は仙台市の天然記念物に指定されており、樹齢は400年以上と推定されています。
御神木の近くには、「鞍掛の石」という大石がありました。村の伝説によると、鎌倉権五郎景政が敵を防ぐために置いた石だといいます。
かつて、社殿は西方の最高所に鎮座し、屏風岳(※砕石採取のため現在は消滅)西方にある鎖集落から鉄鎖に頼って参拝していましたが、強風で破壊され東方へ移築し、参拝路も小山集落よりに移されたといいます。現在の社殿は、三度目の移転先とのことです。
それにしても、鉄鎖で登拝するなんて「ゴースト・オブ・ツシマ」に登場する神社を彷彿としました。
こちらが社殿です。社殿の前にはむっちりしたかわいらしい狛犬がいます。
参道の石段がすごく急なので、参拝の際は歩きやすい格好で、熊対策をしていくことをおすすめします。
【所在地】宮城県仙台市泉区福岡小山19-2
【御朱印】なし
【駐車場】不明(※鳥居横に駐車できるスペースがあります。)