九戸政実最期の地「三ノ迫」

宮城県栗原市栗駒にある、九戸政実ゆかりの地を歩いてきました。

九戸政実について

九戸政実は、戦国大名南部氏の一族で、九戸郡(現在の九戸村と軽米町)を領有したと伝えられています。

政実は武勇に優れ、南部方の武将として活躍しますが、南部氏の家督争いで26代当主信直と対立し、天正19(1591)年に南部氏に対し、九戸城で挙兵(九戸の乱)しました

劣勢になった信直は豊臣秀吉に援軍を要請、豊臣秀次を総大将に、蒲生氏郷、浅野長政、井伊直政らの武将で編成された中央軍(3万5千)が派遣され、南部軍の3万とあわせて合計6万5千の兵に包囲されます

これに対し、政実はわずか5千の兵で九戸城に籠城し、互角以上の戦いをみせます。これに業を煮やした中央軍は、偽りの和議を申し入れました。1人でも多くの一族郎党を救おうという思いから、政実は中央軍に投降しますが、中央軍は開門した城内になだれ込み、火が放たれ、城内の者は撫で斬りにされたと伝えられています。

捕虜となった政実は、豊臣秀次の指示により、三ノ迫(さんのはざま)にて斬首されます。

この政実が斬首された「三ノ迫」が、宮城県栗原市栗駒にあります。

ちなみに、斬首された政実の首は家臣が密かに地元まで持ち帰り、九戸神社(岩手県九戸村)近くの山中に埋めたと言われています。現在も政実の墓所は岩手県九戸村にあります。

九ノ戸神社

明治初年ごろ、遠田郡の行者が九戸政実の夢を見てこの地を訪れ、草むらのなかから塚を見つけ碑を建て、供養したことにはじまると言われています。

頭部(目・鼻・耳・口)の疾病にご利益があるようです。

祠のなかには、「九戸城(二戸市)戦闘要図」と書かれた図や墓石のかわりとされている石が奉納されていました。

【所在地】宮城県栗原市栗駒稲屋敷九ノ戸

【駐車場】なし

首級清めの井戸

国道457号線を南方向に進んだ右手側には、斬首された首を洗ったと伝わる「首級清めの井戸」があります。

現在は一般の方の土地になっているそうです。

【所在地】宮城県栗原市栗駒稲屋敷九ノ戸

【駐車場】なし

九戸城主左近将監政実主従慰霊之碑

九ノ戸神社から南へ進むと、「大鳥公園(九ノ戸公園)」という看板が見えてきます。

ここには、処刑された九戸政実と武将7名を偲ぶため、地元の方々が建てた慰霊碑(「九戸城主左近将監政実主従慰霊之碑」)があります。

お墓には長く生きられると言われている椿が植樹されたと言います。

【所在地】宮城県栗原市栗駒稲屋敷後原

【駐車場】なし

実は、九戸政実を主人公とした小説があります。高橋克彦さんの『天を衝く』という小説です。文庫本だと上中下の3巻ありますが、政実の生きざまに胸が熱くなります。

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史跡

Posted by きだ