熊野那智神社(名取熊野三社①)

今回は、宮城県名取市に鎮座する熊野那智神社(くまのなちじんじゃ)です。

名取市には、熊野那智神社のほかに、熊野神社(熊野新宮社)熊野本宮社があり、これらを名取熊野三社といいます。

熊野那智神社は、名取平野を一望できる高舘山山頂にあります。

名取熊野三社の創建については、奥州三十三観音霊場を創設したとされる名取の老女の伝説が関わってきます。奥州三十三観音霊場についてはこちらの記事をご覧ください。

名取に1人の巫女がおり、毎年紀州熊野(現在の和歌山県にある熊野三山)に参詣していましたが、老いて参詣することができなくなりました。そこで、老女は家の近くに熊野三社の小祠を建てて、信仰を続けていました。

そんなある日、老女のもとに旅の山伏が訪れ、老女に「私が松島に参詣するため熊野権現へお参りしたところ、夢枕に熊野権現が現れ『奥州に熊野権現を熱心に崇敬する者がいる。昔はよく熊野まで参詣に来ていたが年老いてなかなか来られないようだ。しかしそれでも毎日礼拝を欠かさないその者にこの手紙を渡して欲しい』と申されこれを託されたのです」といい、梛の葉に書かれた手紙を渡しました。

そこには『道遠し 年もやうやう老いにけり 思い起こせよ 我も忘れじ』と書かれており、熊野権現の心遣いに感謝し、名取の高舘の地に社殿を建て熊野三社の御分霊を勧請したと伝わります。『安永風土記』によれば、保安年間(1120~24)の頃のことだといいます。

熊野那智神社の創建は、社伝によると、名取熊野三社成立よりさらに遡り、養老3(719)年に閖上浜の漁夫がご神体を引き上げ、高舘山に祀った「羽黒飛龍大権現」が始まりで、保安年間に熊野権現が合祀され、熊野那智権現(熊野那智神社)となったそうです。

名取郡廣ノ浦に住む治兵衛という者がおりました。養老元年閏六月十五日早朝、漁に出るも漁が少なく港に戻らんとしたとき海底に光るものを見る。訝しみて網を投げ入れたところ藤の筏に抱かれた御神体でした。 治兵衛は御神体を家に持ち帰り朝な夕なに礼拝を欠かすことはありませんでした、しかしある時より夜毎廣ノ浦より西方の山並みに向かい龍燈のような光が走ります。治兵衛ら浦人大いに驚きまた懼れをなし神託を需めたところ「我羽黒飛龍の神なり」とお告げがあり、治兵衛自家に祀ることの不敬を悟り、異光の向かった高舘山に社殿を建立し羽黒飛龍大権現と号し社掌としてご神体を祀ることとなりました。これが養老三年六月十日のこととなります。

熊野那智神社由緒(熊野那智神社ホームページより)

那智が丘の住宅街を抜けた先に、熊野那智神社があります。私が参拝した日は地元の方々によるマルシェが開催されていました。

境内はいろんなお店が出店しており賑わいをみせていました。

こちらが拝殿です。

拝殿

拝殿の向かって正面には神門があります。神門からは名取平野が一望できます。

神門

神門は東日本大震災で損壊したものを修復したそうです。懸造と言われています。

神門にはベンチが設置されているので、名取平野をじっくり臨むことができます。

拝殿向かって右手方向に進むと、鐘楼があります。

鐘楼

鐘楼の側にある遊歩道の先に、羽黒飛龍大権現を祀る滝があります。

遊歩道入口

遊歩道から5分ほどで滝に着きます。

小規模な滝ではありますが、周辺には苔むした石仏や祠が祀られており、厳かな雰囲気です。

石仏はほとんどが同じ姿の仏様が彫られていました。水神を祀る場所であることと形状から、弁財天の石仏と思われます。

石仏群

また、境内には、奥州三十三観音霊場第1番札所である紹楽寺の奥の院にあたる観音堂があります。紹楽寺については、こちらの記事で紹介しています。

この観音堂には、人懐っこい猫が数匹おり、大変癒されます。

最後に、こちらが熊野那智神社の御朱印です。御朱印には、神使である八咫烏と滝の印が押されています。拝殿横の社務所でいただけます。神職さんが留守の際は、書置きの御朱印がいただけるようです。

【所在地】宮城県名取市高舘吉田舘山8

【御祭神】羽黒飛龍大神(ハグロヒリュウノオオカミ)・熊野夫須美大神(クマノムスビノオオカミ)

【御朱印】あり(初穂料500円)

【駐車場】あり

神社

Posted by きだ