熊野神社(名取熊野三社②)

今回は、宮城県名取市に鎮座する熊野神社(熊野新宮社)です。名取熊野三社の一社になります。

名取熊野三社の創建については、前回の記事(「熊野那智神社(名取熊野三社①)」)をご覧ください。

熊野神社は、保安4(1123)年の創建以来、東北地方における熊野信仰の中心地として隆盛を誇り、旧参道の東西へ別当坊や学頭坊をはじめ17坊が存在していたといいます。

以前は「熊野新宮社」の名前でしたが、名取熊野三社のなかで中心となっていたこともあり、明治以降「熊野神社」と改称されたそうです。

文治5(1189)年の奥州合戦の際には、源頼朝が武運を祈願して以来、武家や庶民から篤く信仰されるようになったと伝わります。

参道入口

鳥居をくぐってすぐのところに、新宮寺文殊堂があります。

江戸時代以前は、境内の鐘撞堂付近に建っていたと伝えられ、写経された一切経(仏教聖典を総称したもので、別名大蔵経たいぞうきょうとも呼ばれ、全部で5000巻余りあるとされる。)が 3000巻(国指定2568巻、市指定411巻)余り伝わっています。これほど多くの一切経が遺されているのは、岩手県平泉の中尊寺経を除くと東日本では他に例がないそうです。

文殊堂を過ぎて少し進むと拝殿が見えてきます。中央に池が配置され、池の中央には弁天宮が祀られています。

こちらが拝殿です。奥の本殿には、中央に証誠殿、東側に那智飛龍権現社、西側に十二社権現社と名取老女の宮が並び建っています。「熊野造り」と呼ばれる建築様式の貴重な建造物として、県指定有形文化財となっています。

拝殿
弁天宮

拝殿向かって左手には、大きな錨が置かれていました。この錨は、かつて閖上浜で行われていた閖上浜錨祭ゆりあげはまいかりまつりという、大漁を祈願し錨を供養する行事で使用されていたものだといいます。

残念ながらこの行事は現在廃れており、いつから始まり、いつごろまで行われていたのかなどの記録や文献がほとんど確認されていないそうです。この錨は、当時の行事で主役的な役割を担っていた貴重な資料として、名取市有形民俗文化財に指定されています。

閖上浜錨祭の様子を今に伝える絵図を見てみると、錨の上に人が登っている様子が描かれています。

閖上浜錨祭絵図

また、境内には大泉洋源頼朝が文治5(1189)年の奥州合戦の際、熊野神社で戦勝を祈願し、奥州藤原氏との戦いに勝利したその帰途、お礼参りをした際に腰かけたと伝わる石(「源頼朝公腰掛之石」)があります。

頼朝腰掛石

御朱印は社務所でいただきます。熊野神社オリジナルの御朱印帳が頒布されていました。御朱印には熊野信仰のシンボルでもある八咫烏やたがらすの判子が押してあります。

【所在地】宮城県名取市高舘熊野堂岩口上51

【御祭神】速玉之男命はやたまのおのみこと伊邪那岐命いざなぎのみこと事解之男命ことさかのおのみこと

【御朱印】あり(初穂料300円)

【駐車場】あり

神社

Posted by きだ