華足寺(奥州三十三観音第15番札所)

2021年3月12日

第15番札所竹峯山華足寺(ちくぶざんけそくじ)は、第14番札所大慈寺と同じ宮城県登米市東和町にあります。「鱒渕観音」と呼ばれ、奥州七観音の一つに数えられています。

華足寺は、大同2(807)年の坂上田村麻呂による蝦夷征討の折、戦死した敵味方の霊はもとより軍馬の霊をも弔うために一宇を建立して、馬頭観音菩薩を安置したことに始まると伝わります。

その後も、奥州藤原氏をはじめ、葛西氏、伊達氏と、常に時の権力者の庇護を受けるとともに、庶民の厚い信仰を集めてきました。特に、伊達氏の藩政時代には仙台藩の祈願所として禄を賜わり、時には三十数ヵ寺の末寺をもつほどの名刹だったようです。

華足寺の境内入口は山門になりますが、庫裏の近くまで車で行くことができます。

駐車場に車を停めると、すぐ近くに道祖神らしきものがありました。

駐車場のすぐ近くに本堂と庫裏があります。私が参拝した際、本堂から読経が聞こえてきました。

本堂(手前)と庫裏(奥)

本堂前には池があり、弁天様が祀られていました。観音堂は池を挟んで庫裏の反対側にあります。

観音堂に向かう途中に、宮城県指定文化財である華足寺の山門があります。

山門

山門は寛政11(1799)年に伊達家9代藩主周宗により寄進されたもので、1階の右手に増長天、左手に多聞天、2階には十二支本尊8躰が祀られています。

山門から奥へ進むと、観音堂へ続く石段に着きます。

華足寺は元亀元(1570)年に兵火で全山が焼き尽くされ、その後も二度の火災に遭い、多くの寺宝を失ったと記録されています。

現在の観音堂は、伊達家8代斉村の寄進によるもので、天明3(1783)年に起工したものの飢饉により一時中断、天明6(1786)年に落慶されました。

観音堂

観音堂に祀られている本尊の馬頭観音菩薩は111㎝、行基の作と伝えられる三面六臂の座像で、33年ごとの御開帳となっています。

観音堂裏には、田村麻呂の愛馬「郷黒(さとぐろ)」を懇ろに埋葬したところ、金色の光を発し、そこから約9㎝の観音像が出現したため、普門品三千三百三十三品の経とともに土中深く埋め、その上に建立したと伝えられる奥の院があります。

赤い屋根の下にあるのが奥の院です。観音堂の裏手には奥の院のほか、馬頭観音の石碑がたくさんありました。

奥の院

観音堂一帯は馬頭観音の石碑や馬のお墓などがあり、霊場の雰囲気満点です。

本尊が馬頭観音ということで、華足寺には競馬関係者や畜産家の参詣が多いようで、最近ではペット葬も行っているようです。

御朱印は庫裏でいただきます。

【ご詠歌】ふみまよう ふもとのみちの おほけなや みのりのかねの はなのやまてら

【宗派】真言宗智山派

【本尊】馬頭観音菩薩

【住所】宮城県登米市東和町米川字小山下2

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