護国寺(最上三十三観音第5番札所)

2022年7月16日

今回は、山形県山形市にある唐松山護国寺(曹洞宗)です。

護国寺は通称を「唐松観音」といい、最上三十三観音第5番札所です(以降、「唐松観音」と表記します。)。最上三十三観音については、令和4年5月から10月まで御開帳が行われるため、その際にご紹介します(最上三十三観音御開帳についてはこちら)。

唐松観音は、日本一の芋煮会(芋煮フェスティバル)が行われる馬見ヶ崎川の上流に位置し、正歴元(990)年に平清水(山形市平清水)の郷民森山氏の妻が、戦死した夫の冥福を祈るため、唐松山の霊窟に観音像を祀り河岸に草庵を結んだことに始まると伝わります。

芋煮会

その後、馬見ケ崎川の上流に住む藤原藤太(炭焼藤太とも)に、京都一条殿の豊丸姫という美女が清水観音のお告げによってこの地を訪れ、藤太の妻となります。その豊丸姫の念持仏の聖観音像(弘法大師作)を、藤太が永久元(1113)年に唐松山の霊窟に祀って、その前に堂宇を建て拝殿としたことで、唐松観音と呼ばれることになりました。この観音像は現在も秘仏として祀られています。

時代が下り、寛文元(1661)年、時の山形城主松平下総守忠弘(清長)は、深く唐松に帰依し、山形城鬼門の守護仏として観音堂創建を計り、京都清水寺の観音の舞台を模して、懸崖造りの荘厳な大悲閣を建立しました。以後、代々の城主が修復に尽くしましたが、お堂の荒廃が激しくなり、昭和51年に現在の観音堂が落成しました。

駐車場は境内近くの唐松橋の側です。広い駐車場ですが、秋の芋煮会シーズンは混雑します。

駐車場には、ひときわ目を引く大鍋が展示されています。これは日本一の芋煮会と呼ばれる芋煮フェスティバルで使用された「初代なべ太郎」です。今は現役を引退しており、ここで展示されています。

初代なべ太郎

なべ太郎の近くに、参道へと続く唐松橋があります。

橋を渡ってすぐのところに寺務所があり、そこで御朱印をいただくことができます。

参道入口には鳥居があり、神仏習合の名残を今にとどめています。

鳥居から数分ほど歩くと、観音堂が見えてきます。

観音堂は、京都の清水寺と同じ、懸造りという造りになっています。

下から見上げるとこんな感じです↓

観音堂を見上げたのち、ゆるやかな傾斜を進んでいくと、観音堂の入口に着きます。

堂内には、「ムカサリ絵馬」という絵馬が多数奉納されています。ムカサリ絵馬は、江戸時代から最上地方から置賜地方にかけて伝わる絵馬で、未婚のままこの世を去った子のために、あの世で結婚式を挙げている様子が描かれています

ちなみに、観音堂内は春と秋になるとカメムシがたくさんいるので、苦手な方はお気を付けください。

御朱印は参道入口にある寺務所でいただきます。寺務所に人がいないときは、別当さんのお宅でいただけるようです。

今回は御朱印をいただかなかったので、以前参拝した際の御朱印を掲載します。

※令和4年5月から最上三十三観音御開帳が行われており、その際にいただいた御朱印とお姿です。

御朱印(左)とお姿(右)

他の最上三十三観音札所については、こちら

【所在地】山形県山形市釈迦堂上唐松501-1

【御詠歌】みなかみは いづくなるらん からまつの かぜにおとある やまかはのみず

【宗派】曹洞宗

【本尊】聖観世音菩薩

【駐車場】あり