大悲山の磨崖仏

東北地方で最大・最古の石仏が、福島県南相馬市小高区にある。

大悲山だいひさんの石仏」として親しまれるこの石仏は、「薬師堂石仏」「観音堂石仏」「阿弥陀堂石仏」の3つの磨崖仏から構成される磨崖仏群で、大谷磨崖仏(栃木県)・臼杵磨崖仏(大分県)とともに日本三大磨崖仏とされている(昭和5年に国指定史跡に指定。)。

石仏の特徴から、平安時代の造立と推定されているが、この石仏を作った人たちや歴史的背景もよくわかっておらず、未だ謎の多い石仏群だという。

今回は、一千年以上も前に東北の地に花開いた日本有数の石窟寺院、大悲山の石仏を紹介したい。

大悲山の石仏は、JR常磐線小高駅から車で10分、JR常磐線桃内駅から徒歩20分。のどかな山あいの地域にある。付近には大悲山大蛇物語公園という、ロマンを感じさせる名前の公園があり、そこに車を停め、薬師堂石仏→阿弥陀堂石仏→観音堂石仏の順に参拝した。

大悲山の大杉

薬師堂石仏

薬師堂石仏は大悲山の石仏の中で最も保存状態が良い。

参道にそびえる樹齢千年の大杉を横目に石段を登り、御堂の扉を開けると、薄暗い堂内に自動で照明が点灯する。堂内に入ると、ガラス戸を1枚隔て、浮彫された4体の如来像と2体の菩薩像、線彫りの2体の菩薩像と飛天が姿を現す。

薬師堂

岩肌をくりぬいた間口15m、高さ5.5mの空間に、高さ2~3mの磨崖仏がずらりと並ぶ光景は圧巻で、思わず声がでてしまう。

薬師堂石仏①

如来像は首が太く、胸が張り出すどっしりとしたお姿で、光背の一部に朱色などの彩色が残っており、かつては色鮮やかな石仏であったことがわかる。

薬師堂石仏②

石質のせいか風化が目立ち、保護のためにガラス戸を隔てての参拝になってしまうのが残念であるが、ガラス戸に隔てられていても、その堂々とした佇まいに見惚れ、しばし時間を忘れて見入ってしまった。

阿弥陀堂石仏

薬師堂石仏をあとにして阿弥陀堂石仏へ。薬師堂石仏から徒歩2分ほどのところにある阿弥陀堂石仏は、薬師堂石仏がお堂にすっぽりと覆われているのに対し、御堂はなく、覆い屋根がかけられている。

阿弥陀堂石仏は形もあきらかでないほどに剥落が激しく、今では仏像と思われる芯の部分を残すのみで、阿弥陀仏が刻まれていたと伝わる。

阿弥陀堂石仏

しばしの間、じっと岩肌を見つめていたが、そこに往時の阿弥陀仏のお姿を見つけることはできなかった。

観音堂石仏

観音堂石仏は、大悲山の磨崖仏群の本尊であったとされる千手観音坐像である。

阿弥陀堂石仏から5分ほどのところに覆い屋根がかけられた観音堂石仏がある。

観音堂

観音堂石仏の千手観音坐像は、保存状態は良くないものの、高さ約9mを誇る日本最大級の石仏で、化仏といわれる小さい仏が壁面に多数刻まれている

観音堂石仏(千手観音坐像)①

千手観音坐像は摩耗が激しいが、その大きさに圧倒される。

観音堂石仏(千手観音坐像)②

千手観音坐像は顔と顔の高さにあげられた手の部分のみ形が残り、顔から下は風化してぼんやりとしか残っていないが、残された彫刻からさぞやお美しい石仏であっただろうことが想像される。

また、千手観音坐像の周りに刻まれた化仏は朱色の彩色が残るものもあり、薬師堂石仏と同様、かつては色鮮やかな石仏であったのだろう。

彩色が残る化仏

なお、この磨崖仏(千手観音)は、元禄期に奥州中村城主相馬昌胤により奥相三拾三所観音が定められ、その第27番札所になっている。

正直、これほど素晴らしい磨崖仏とは予想しておらず、終始圧倒されるばかりであった。また、境内はどこも綺麗に清掃されており、地元の人々から大切にされていることがひしひしと伝わってくる。

これほどの磨崖仏をこの地に作った人々や歴史的背景については、今後の研究成果に期待したいところだが、東北地方にはまだまだあまり知られていない素晴らしい仏像や石仏があることを改めて実感した。

【所在地】福島県南相馬市小高区泉沢薬師前206

【駐車場】あり

石仏

Posted by きだ